私の祖母は3年前まで紫波町で一人暮らしをしていました(今は、とある施設に入っていますが、92歳の今でも元気です)。
その家には1本の柿の木がありました。
岩手という気候の関係上取れるのは全て渋柿で、収穫後は皮をむいて干し柿にするのがほとんどでした。
子供の頃に私にとって、11月上旬の柿の収穫はまさしく一大イベントでした。柿の木に登り、体をいっぱいに伸ばして枝の先にある柿をもぎ取る。木下に、カゴを持った父親が待っている。そんな、ありふれた光景かもしれないのに、なぜか未だに記憶に残っています。
その収穫の時、祖母はこんな事を言いました。
「崇。枝の先にある柿は全部取らないで鳥たちのためにとっておくもんなんだよ。鳥たちは、夏の間柿の木についた虫達を食べてくれていたんだから。これから冬になってエサが無くなる鳥たちのごちそうになるんだよ」
これこそ、教科書で習う食物連鎖の生きた一例ですよね。
人間中心で考えると、柿の実を全て収穫した方が効率がいいでしょう。でも、柿の木を中心に考えると、その周りには虫がいて、鳥がいて、そしてたまたま人間がいるだけ。
そんな生物たちの営みの中に人間がいるのだという事を常に忘れないようにしたいものです。
ラベル:干し柿
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